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仙台地方裁判所 昭和33年(わ)289号 判決

被告人 磯野純夫

大一四・三・一〇生 無職

主文

被告人を懲役六月に処する。

ただしこの裁判が確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は日本人であるが、昭和二十七年八月から同三十三年五月までの間に、有効な旅券に出国の証印を受けないで本邦より本邦外の地域である中華人民共和国に出国したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(被告人および弁護人の主張に対する判断)

第一訴因不特定の主張について

弁護人は、本件起訴状は訴因を明示して居らない。即ちその出国の日を昭和二十七年七月二日頃から昭和三十三年六月下旬頃までの間とし、出国の場所、方法については何等掲げるところがない。右によつては犯罪事実が特定されたとはいい得ないから、公訴提起の手続がその規定に違反したため無効な場合として本件公訴は棄却されるべきであると主張する。

確かに本件起訴状記載の公訴事実には被告人が出国した確定年月日、特定の場所及びその方法についての記載がないのであるが、刑事訴訟法第二百五十六条第三項が「訴因を明示するには、できる限り日時・場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない。」と規定しているのは、訴因が事実である以上犯罪構成要件の抽象的記載だけでは他の訴因を構成すべき事実との区別ができず公訴事実が特定されないところからこれを特定する方法として犯罪の日時・場所・方法等をできるだけ明示せよとした趣旨の規定であつて、公訴事実を特定できるならば日時・場所・方法等のすべてを明確に記載することは必ずしも必要でないと解されるところ、本件起訴状記載の公訴事実は被告人が日本人であること、出入国管理令第六十条所定の手続を経ないで本邦から中華人民共和国に出国したこと、出国の時期は昭和二十七年七月二日ごろから同三十三年六月下旬ごろまでの間であることを明らかにしているのであつて、およそ本邦から外国に密出国するというようなことは他の一般の刑法犯のように時と場所とを問わず頻繁にたやすく行われ得るものではないのであるから、右諸点が右程度に明らかにされていれば、さらに出国の確定時日・場所・方法等の明示がなくとも出入国管理令第六十条第二項違反の公訴事実として他の訴因と区別し特定できるものと考えられる。従つて本件起訴状における訴因の記載には弁護人所論のような違法はなく、前記主張は採用できない。

第二公訴の時効が完成したとの主張について

弁護人は、本件公訴は公訴の時効期間である三年を経過したのちになされたものと主張するが、既に判示したように被告人の本件出国の時期は昭和二十七年八月から同三十三年五月までの間と認められるのであるから、刑事訴訟法第二百五十三条第一項により右三十三年五月を経過した時から時効が進行するものとすれば、同年七月に本件公訴が提起された以上本件犯罪の公訴時効は未だ完成していないことが明らかであり、かりに被告人が判示した出国時期の最初である昭和二十七年八月に出国したものとし、その時から時効が進行すべきものとしても、被告人の検察官に対する供述調書、磯野美治、磯野はるの各検察官に対する供述調書、押収してある光明日報一通(証第三号)ならびに記録に編成してある昭和三十三年七月十一日付、同月十四日付、同月十五日付各アカハタ紙第一面掲載記事の写三通を綜合すれば、被告人が右出国の時から同三十三年七月十三日京都府舞鶴港に上陸帰国するまで日本国外である中華人民共和国に居住していたことが肯認し得られるから、刑事訴訟法第二百五十五条第一項により右国外にいる期間公訴時効の進行は停止されるものと解すべきであり(本件犯罪につき刑訴法の右条項の適用なしとする弁護人の所論は採用できない)、同月二十五日に本件公訴が提起された以上本件犯罪の公訴時効は未だ完成していないといわなければならない。

第三憲法違反の主張について

被告人および弁護人は、出入国管理令第六十条は旅券法第十三条第一項第五号の実際の運用と相まつて国外渡航の自由を侵害するものであり憲法第二十二条第二項に違反し無効であると主張するが、国外渡航の自由が憲法第二十二条第二項所定の外国移住の自由に準じて考えられるとしても、右自由は公共の福祉に反しないという制限をうけるものと解すべきところ(憲法第十三条参照)、出入国管理令第六十条の規定は同令第一条が明示するように出入国の公正な管理を行うという目的のため出国の手続に関する措置を定めたものであるから、事実上右第六十条の規定により国外渡航の自由が制限されるようなことがあつても右制限は公共の福祉のためやむを得ないものであつて憲法第二十二条第二項には違反しないというべきである。そしてこのことは旅券法第十三条第一項第五号の運用の実状如何とはかかわりないものといわなければならない(旅券法の右規定が憲法第二十二条第二項に違反しないことについては昭和三十三年九月十日最高裁大法廷判決参照)。なお被告人および弁護人は、出入国管理令がいわゆるポツダム政令に基くものであるから憲法に違反し無効である旨主張するが、同令は昭和二十七年法律第百二十六号により昭和二十七年四月二十八日以後法律としての効力を有するものとされたのであり、本件犯行は出入国管理令が右の如く法律たる効力を有するに至つた後になされたものであるから右主張もまた理由がない。

第四正当防衛ないし期待可能性欠缺の主張について

被告人および弁護人は、被告人の本件出国当時朝鮮戦争、ヴエトナム戦争等にみられる如く米国を中心とする反動勢力が平和主義勢力を押しつぶそうとし第三次大戦が発生しかねない状態にあつた。右反動勢力の圧迫は世界人民に対する急迫不正の侵害であり、被告人としては右侵害に対し自己を含めた世界人民の生命・財産・自由を防衛するためアジアにおける平和勢力の最大の拠点である中華人民共和国の人民と提携すべく日本を出国して右共和国に渡航したものであるから、被告人の本件出国は正当防衛にほかならない。また当時日本政府はソビエトや中華人民共和国向けの旅券の発給を不当に停止していたのであるから、かりに被告人が旅券の交付を申請したとしてもその発給が拒否されたことは明白であり、被告人としては前記世界大戦防止の目的を達するためにどうしても旅券なしに出国せざるを得なかつたもので、被告人に本件犯行に出でないことを期待することは不可能であつた。それ故いずれの点からしても被告人の本件所為は責任を阻却され無罪であると主張する。

しかしながら、かりに被告人等主張のような世界情勢下にあつたとしてもそのいわゆる反動勢力の圧迫を目して直ちに急迫不正の侵害と断じ去ることはできないのみならず、被告人の出国が真にやむを得ざるに出た行為であるとも認めることができないので前記被告人等の正当防衛の主張はこれを採用することができない。また被告人等の主張どおりに日本政府が旅券の発給を停止していたとしても、一般通常人を被告人の立場においた場合、旅券なしに出国すること以外の他の所為に出ることを期待できなかつたとは到底認められないから前記期待可能性を欠く旨の主張もまた採用できない。

(法令の適用)

判示した被告人の所為は出入国管理令第七十一条、第六十条第二項第一項に該当するので所定刑中懲役刑を選択し、所定刑期範囲内で被告人を懲役六月に処し、情状により刑法第二十五条第一項第一号を適用してこの裁判が確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 佐々木次雄 杉本正雄 千葉裕)

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